七 コレミツの嫉妬

(現代語訳)
 目覚めると、太陽が天辺に昇る時間だった。ゲンジの君が格子の扉を跳ね上げる。荒廃した庭に人気がなく見渡しが良い。遠くの古い雑木林が不気味だ。近くの草木も鑑賞に堪え得る物ではなく、秋の野原が広がっている。池も水草で覆われていて、ここは荒れ地なのだった。別棟には部屋があって、誰かが住んでいるらしいが、ここからは遠い。

 「まるで幽霊屋敷だね。でも鬼だって私には手出しできないだろう」

とゲンジの君は余裕だ。まだ顔を隠しているが、夕顔がつれなく思っているようなので、「こんな関係になってまで隠し事をするのも良くない」と、

  「夕露を受けてひらいたこの花をあなたの前で咲かせてみせる
 露の光はどうだろう?」

一首詠んで覆面を取った。夕顔は思わせぶりな視線で、

  「光る露みていた花は夕顔で夕暮れ時の空目のように」

とかすれ声で返す。そんな夕顔を、ゲンジの君は意地らしく思うのだった。こうして二人がじゃれ合っている様子は、場所が場所だけに現世の光景には見えない。

 「あなたは誰なの? いつまでも話してくれないから私も正体を明かすつもりはなかったんだ。もうこうなってしまったんだから名前だけでも教えて欲しい。だって変だよ」

とゲンジの君が尋問するが、夕顔は「私は海の子、根無し草」とはぐらかし、心を許さず駄々っ子みたいだ。

 「私が先にちょっかいを出したのだから仕方がないか」

とゲンジの君は自嘲し、懲りずに話しかける。

 コレミツがゲンジの君の居場所を探し出し、果物などを持ってきた。騙した手前、右近に小言をされてはたまらないので、近寄ることができない。「君が、こうまで徘徊して尻を追いかける女は、きっと相当な上玉だな」と思い「自分が先に唾を付けてしまえばよかった。なんて俺はお人好しなんだ」と逃がした魚は大きかった。

 夕顔は世界の終わりのように静かな黄昏を見つめていた。向こうは暗くて不気味だった。ゲンジの君が端の簾を上げて近くに寝転んでいる。夕日にまみれた顔を見つめ合っていると、夕顔は地球のどこに立っているのかわからなくなった。だんだんと種々の悩みも忘れていくようで、心を許す姿が可愛らしい。ずっとゲンジの君にしがみつき、怯えているのが子供のようで健気だ。ゲンジの君は早めに格子扉を下ろし、灯りを点させた。

 「もう私たちはすっかり結ばれているのに、まだ隠し事をしているのだから理解できないね」

ゲンジの君は不満を言う。

 ゲンジの君は「後宮では、もう捜索がはじまっているだろうから、みんな私を探し回っているだろうな」と思った。それから「不思議な気持ちがする。六条の人は恨んでいるだろうな。悲しいことだが仕方ない」などと、すぐに六条御息所のことを思い浮かんだ。あどけない夕顔に向き合っていると「あんなにプライドが高くて、私を窒息させそうなのがよくない」と二人を天秤に掛けてしまうのだった。

(原文)
 日たくるほどに起きたまひて、格子手づから上げたまふ。いといたく荒れて、人目もなくはるばると見わたされて、木立いと疎ましくもの古りたり。け近き草木などはことに見所なく、みな秋の野らにて、池も水草に埋もれたれば、いとけうとげになりにける所かな。別納の方にぞ曹司などして人住むべかめれど、こなたは離れたり。

 「けうとくもなりにける所かな、さりとも、鬼なども我をば見ゆるしてん」

とのたまふ。顔はなほ隠したまヘれど、女のいとつらしと思ヘれば、げにかばかりにて隔てあらむも事のさまに違ひたりと思して、

  「夕露に紐とく花は玉ぼこのたよりに見えしえにこそありけれ
 露の光やいかに」

と、のたまへば、後目に見おこせて、

  「光ありと見し夕顔の上露はたそかれ時の空目なりけり」

と、ほのかに言ふ。をかしと思しなす。げに、うちとけたまヘるさま、世になく、所がらまいてゆゆしきまで見えたまふ。

 「尽きせず隔てたまへるつらさに、あらはさじと思ひつるものを。今だに名のりしたまヘ。いとむくつけし」

と、のたまヘど、「海人の子なれば」とて、さすがにうちとけぬさま、いとあいだれたり。

 「よし、これもわれからなめり」

と、恨み、かつは語らひ暮らしたまふ。

 惟光尋ねきこえて、御くだものなど参らす。右近が言はむこと、さすがにいとほしければ、近くもえさぶらひ寄らず。かくまでたどり歩きたまふ、をかしう、さもありぬべきありさまにこそはと推しはかるにも、「わがいとよく思ひ寄りぬべかりしことを、譲りきこえて、心広さよ」など、めざましう思ひをる。

 たとしヘなく静かなる夕の空をながめたまひて、奥の方は暗うものむつかしと、女は思ひたれば、端の簾を上げて添ひ臥したまヘり。タ映えを見かはして、女もかかるありさまを思ひの外にあやしき心地はしながら、よろづの嘆き忘れてすこしうちとけゆく気色、いとらうたし。つと御傍に添ひ暮らして、物をいと恐ろしと思ひたるさま、若う心苦し。格子とく下したまひて、大殿油まゐらせて、

 「なごりなくなりにたる御ありさまにて、なほ心の中の隔て残したまヘるなむつらき」

と、恨みたまふ。

 内裏にいかに求めさせたまふらんを、いづこにも尋ぬらんと思しやりて、かつはあやしの心や、六条わたりにもいかに思ひ乱れたまふらん、恨みられんに苦しうことわりなりと、いとほしき筋はまづ思ひきこえたまふ。何心もなきさし向ひをあはれと思すままに、あまり心深く、見る人も苦しき御ありさまを、すこし取り捨てばやと、思ひくらべられたまひける。

(註釈)
1 海人の子なれば
 ・白波の寄する渚に世をつくす海人の子なれば宿も定めず 『和漢朗詠集』

2 われから
 ・海人の刈る藻にすむ虫のわれからと音をこそ泣かめ世をば恨みじ 『古今和歌集』

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