十五 ゲンジ、また中川へ空蝉に逢いに行く
- 2010年 2月21日
(現代語訳)
ゲンジの君は、いつものように後宮に引きこもっていたが、ちょうどよい方位除けの日を待って、急に思い出したような素振りで、中川の家へ立ち寄った。紀伊のカミは驚いて、「庭の水の手柄ですね」などと神妙な顔をして喜んでいる。弟には事前に昼間から、「今日は姉さんに逢いに行く」と打ち合わせてあるのだ。一日中そばに連れている弟なので、今夜もすぐに呼び寄せる。空蝉にも手紙を渡してあった。空蝉は、こうまでして訪ねてくる源氏の気持ちを、女心に嬉しく思ったが、「だからといって簡単に心を許してしまえば、醜態をさらすだけ」と頑なだ。あの悪夢のような過ちを再び繰り返してはならないと悩んだ。「こういう風にゲンジの君を迎える運命の女ではない」と心に決めて、弟がいなくなった隙に、
「ゲンジの君の近くにいるのは申し訳ないわ。体調も良くないみたいだから、そっとマッサージをして欲しいの。どこか遠くの部屋へ連れて行って」
と言って廊下の奥に、あの中将の女官の部屋があるので逃げた。その気になっているゲンジの君は、家来をさっさと寝かしつけてスタンバイしているのだけど、弟は空蝉を見つけることができない。あちこちを探し回り、廊下をすり抜け、やっとのことで捜し出した。「非道いよ、あんまりだよ」と思い、
「僕が使えない子供だと思われるよ」
と泣きべそをかいている。姉は、
「何て悪い子なの。子供がこんなお使いをするのは、いけないことなのよ」
と叱りつけ、
「気分が悪いから、女官たちのそばで介抱してもらっていると言いなさい。周りの人に怪しまれるでしょ」
と追い返す。本当は、「まだ結婚していない頃、お父さんも生きていたあのお屋敷へ、思いがけなくゲンジの君が訪ねてくるのを待ってるのなら、きっと幸せだったのに。意地を張って知らんぷりしているのだから、身の程知らずの馬鹿な女だと思われているでしょうね」と胸が締め付けられる思いなのだった。それでも、「人妻の私は、どう転んでもゲンジの君とは結ばれない」と諦めて、「嫌な女で押し通そう」と覚悟を決めた。ゲンジの君は、どんな段取りになっているのかと、頼みの弟がまだ子供なので心配だ。寝っ転がりながら待っていると、弟が「失敗しました」と伝えに来た。
「意地悪な女だな。開いた口が塞がらないよ。私は恥ずかしくなってきた」
と嘆くゲンジの君に、哀愁が漂う。しばしの沈黙の後、ため息ひとつ。切なくてたまらないようだ。
「近づけば消えてしまう箒木のあなたと知らず彷徨うばかり
もう何も言わないよ」
と一首詠んで贈った。空蝉も眠れないで悶えていた。
つまらない荒れ屋に生きる私です あなたの前から消える箒木
と返歌する。弟はゲンジの君が不憫でしかたなく、一睡もせずに行ったり来たりしている。空蝉は、
「みんなが怪しむ」
と気が気でない。例のごとく家来たちは泥酔して深い夢の中だ。ただ一人、ゲンジの君だけは悔しくて目をギラギラさせている。珍しいほど気の強い女で憎たらしいのだけど、恋しくて、近づくと見えなくなってしまうという箒木のように、都合良くは消えてはくれない。悔しいのだけど、「こんな女だから惹かれてしまうのかも知れない」と思う。あまりの仕打ちが気に食わず、どうでも良くなってくるが、やっぱり、どうでも良くないのだ。
「やむを得ん。隠れているところに連れて行ってくれ」
と言うと、弟が、
「無理です。戸締まりが厳重で、見張りの女官がたくさんいます。そんなところへは連れて行けません」
と答えた。弟は、ゲンジの君が気の毒で仕方ない。
「わかったよ。だったら、お前だけはそばにいてくれ」
とゲンジの君は、弟をそばに引き寄せる。目の前で、その若くて美しい美貌にドキドキしている弟を見て、「冷酷な空蝉より、この子の方がよっぽど可愛い」と思うのだった。
